久しぶりすぎの投稿
皆さんお元気でしょうか。
イベント告知すらままならない、筆不精な私です。定期運転です。
最近、いろんな方と育児についてお話しする機会があるのですが、気になること、気づいたことを記録します
子どもに自由を!・・・って?
現在、私はモンテッソーリ園で勤務しており、毎月の研修や日々の保育補助業務にて、モンテッソーリ教育とは何か?という部分を学ばさせてもらっています。
そこで、よく子育て中の親御さん等から言われる「モンテッソーリって”自由”にさせるから”ワガママ”になるんじゃない?」というお声。
また、”自由”が良いんだ!と、自分なりの実践の末、お子さんもその親御さんも困っている・・・という姿。
元来、私達日本人親世代は、体罰は当たり前、暴言は当たり前、大人の言うことに従って効率よく動き、答えを出すことが「優秀」と評価されてきました。(昭和後期生まれデス・・・)
そんな私たちが「自分もそうでありたかった!自由を!」といって『自分の感覚での”自由”』を子どもに対して表現することは、モンテッソーリ女史を始めたとした教育者の提唱する”自由”とは少し異なります。
自由と規律
モンテッソーリ教育のキーワードでよく出てくるのが「自由と規律」
私も始め「相反するのでは・・・」と困惑したのですが、これは分かりやすい例えとして「交通ルール」が挙げられます。
世の中が調和を保って過ごすためのルールがある。でも、あなたは何処に行くのも自由なんだよ。
という物です。
そりゃそうですよね。「自由よ〜」とかいって、逆走したり、信号無視したり、歩道も車道もぐちゃぐちゃだったら・・・
あちこちで重大事故発生!!!!!
想像するだけで恐ろしいです・・・
教室内でも、使う教具(道具)は「故意に破損させない」「使ったら元に戻す」「目的に沿って使用する」という規律(ルール)が保たれています。
それが保たれることによって、みんな安心していつも自由に使用ができる。
規律や秩序がなくて、終わって適当にポーン!と放り投げてて良いなら、みんなそうして良いってことですよね。
いざ自分が使いたい時・・・
想像するだけで恐ろしいです・・・(2回目)
じゃあ、自由って?というのは「選択肢」のこと。
モンテッソーリでは「自由選択活動」と言います。
日本の一般的な教室では、月齢に合わせて「○歳児クラス」と分けられ、クラスごと一斉に活動を始めることが多いと思います。
クレヨンでお絵描きしたいな〜って思っている子も、「今は工作の時間ですよ〜ハサミ持って〜作り方説明するよ〜!」とストップさせられることがあります。
小学校とか特に時間割で教科が定められてますよね。
モンテッソーリでは、「自由選択活動」中はその子の発達や敏感期(ざっくりいうと、”伸ばし時”)に合わせて、数をするのか、日常の動作をするのか、文化を学ぶのか、言葉を学ぶのか・・・1人1人異なっててOKなんです!
それを自分自身で”これをやるぞ!”を選択・決定ができる。
しかも、一通りの工程が終えた後でも「またやりたい」と思えば、とことん繰り返せる。
そして「やり切った!」となると、子どもの充足感、有能感、自己肯定感がグーっ!とアップします。日々、それの繰り返しを理想としています。
みんなが困らなかったら何をしてもいいの?
もちろん、モンテッソーリ園にもタイムスケジュールがありますし、給食の間に自由選択活動はおこないません。(選択活動中から給食の時間にかけて集中が続いていれば、その子が一区切り着くまで見守ります)
給食の時間もお約束はあります。
例えば、「お食事をしている時に席を立ってうろうろはしません。食事が終わってから次の行動をしましょう」というルールがあるとします。
でも食事途中に他の席のお友達が気になってうろうろ、お外を見たくて窓際までうろうろ・・・
そうしていると、離席中におかずの乗ったプレートやお茶碗がゆっくりと席から無くなっていく。
また食べよう〜と席に戻るころには、あれ?自分のお食事がない!!!!!!
「あなたがお席を立ったということは、”お食事が終わりました”ということよね」となるのです。
※泣いて反省したとしても、お皿は元に戻りません(戻したら意味ないですよね)。しかし、その後のフォローはしっかり行わないといけません
お約束を守れず、結果思ったように食事が取れなかったとしても、それは「その行動を選択した結果を本人が経験する」としています。これは、どの時代も一緒ですね。
(昭和の頃でしたら、どうでしょう…私の記憶だと、「なに食事中にうろうろしてんの!」ポカっ!。大人から大声を出されて、叩かれるが『結果』でした・・・)
自由に選択できる!ことに秘めた可能性
モンテッソーリを始めとする、日本から見たオルタナティブな教育メソッドで言われる「自由」
これがどんなものか、少しでも伝われば嬉しいです!
私もこのことを知ってから、子育てにおいて「こうさせなければならない」呪縛から解き放たれました。
子どものワガママに付き合ってやらなけんのが親だし、大人の決めたルールにどうやったら従順に従わせられるのだろうか・・・とばかり思っていたのです。
「そっか。規律は定めるけど、あとは彼らは”自由に選択”させることができるんだ」と思ったら、握り潰すくらいの勢いで握っていた手をパッと離せました。(心の中でね)
補足ですが、モンテッソーリのグランドルールとして「自分を傷つけない、他人を傷つけない、環境を傷つけない」というものがあります。
逆を言えば、このようなルールを守っていれば、何を選択しても良い・・・
これは大人の私たちにも言えることだよな。って思います。
「選択できる」ということに気づいた時、その人の中に秘めた力強さを引き出すことについては、また別の機会でお話しできたら良いなと思います。
最後まで読んでくれてありがとうございました!